ピノノワールサミットの後半。午後は100種類以上のワインが一堂に会し、テイスティングできる場が設けられました。せっかく数多くのピノノワールを試せましたので、ここでヨーロッパの著名な産地に例えて味を表現してみましょう。(産地イメージはあくまで個人目線で目安です。)
まず、最も今までの日本ワインのイメージから抜け出していたのが、富山「セイズファーム」のピノノワール。透明感があり伸びやか、赤い果実感があり華やかです。繊細ながらどこまでも広がるようなこのワインは、まるでブルゴーニュのシャンボール・ミュジニー村のみずみずしさを感じるようでした。
それに近い味わい、印象ながら、少し違った表情だったのが「はすみふぁーむ」の千曲川ワインバレーピノノワールです。このワインは赤みもありますが、若干旨み、凝縮感も感じられ、ブルゴーニュの村に例えると、旨み、酸、果実味、あらゆる要素を兼ね備えた万能型、モレ・サン・ドニのといったところでしょうか。
一方いぶし銀の味わいだったのが、「函館ワイン」のピノノワール。少しくすんで熟成感、複雑なニュアンスがありますが、旨みがのって味わい深く、しみじみとした印象。すぐに飲むならそれほど癖は感じられず、値段を考えても評価できるワインだと思います。しかしブースに立っていた営業の方に伺うと賛否両論で、あまり口に合わない人もいたということでした。そもそも発展途上である国産のピノノワール、万人が評価をするワインを、皆が皆目指すのも現状は難しいかと思われます。今後も期待できそうです。
そういった意味では「丹波ワイン」のピノノワールは本来ヨーロッパ云々とか、他のワイナリーどうこうといった味わいではなく、独自のものです。産地は雨も多く、雨よけしなければならず、色付きもないため、毎年苦労されて、年ごとに全く違った印象のピノノワールが出来上がります。私はこういったワインもテロワール(産地特性)の表現だと思いますが、評価しない人もいます。和食合わせることを想定して造られている同社のワイン。例え、色や味が淡くとも、ここのワインぐらいは繊細な、だしのうまみがあっても良と思うのです。ただこの場に出されていた13年と14年は比較的色付き、味のノリもよく、いわゆる万人受けに若干寄った味わいです。
さて最後に「キスヴィン」のピノノワール。シャトー酒折さんで醸造される最後のヴィンテージ(今後は自社醸造)。このワインに関しては、他のものと若干味わいの方向性が違います。果実の甘みが乗っていて、ダイレクトにそれを感じます。ブルゴーニュというよりはカリフォルニアのワインを彷仏とさせるものです。うまみがあるので、チャーミングで気軽に飲める、初心者向けのワインといえるかもしれません。
なぜ、ブルゴーニュの村に例えたのかと言いますと、かつての薄く、淡い国産のピノノワールでは感じられなかったほど、現在のものは本場の産地に比喩を求めても、それほど背伸びをした表現ではないのでは?と感じたからです。ブルゴーニュが全てではありませんが、パネルディスカッションでも目標の産地に挙げる方がいらっしゃるように、国産ピノにとって今後も指針になっていくと思います。そうは言いながら、日本ではやはり日照不足、多雨もありますので、ドイツの様な冷涼な産地も同様に参考にすべきでは、とも感じます。
ピノノワール以外のワインも多く出ていましたので、番外編。「旭洋酒」のソレイユ千野甲州。今までの国産甲州のイメージを覆すミネラリックで透き通って、ピリッと引き締まった辛口。涼やかで非常に印象の良い白ワインです。このワインなら輸出してもある程度の評価を得られるような気がします。同社のメルローも試しましたが、こちらも非常に良い出来だと思います。個人の見解ですが「旭洋酒」の赤は、ピノノワールよりもメルロの方が好みです。
最後に写真はありませんが、都農ワインのソーヴィニヨンブラン。新しくトライされたこの品種、ニュージーランドやロワール、ボルドー、のそれとも全く違う、トロピカルなフレーバーがアクセント。ただ甘みがだれることもなく、穏やかにまとまっています。さすが繊細な果実味の表現に長けた、赤尾さんの仕込んだワインらしい味です。これはこれでひとつの商品として自信を持って勧められると思います。
この先10年でさらなる進化が期待される日本のピノノワール。皆さんはどのようなワインが産まれることを期待されますか?やはりブルゴーニュスタイル?価格の低下?そもそも期待しない?
私は、他のどの国にも無い、「和風ピノノワールスタイル」がやんわりと確立されて行くように思います。じわ旨なのか、だし旨なのか判りませんが。ただ世界の銘産地にもそれぞれ多くの個性派生産者がいながら、やはり、ブルゴーニュ、ニュージーランド、アルザス、ドイツ、オレゴンというとそれぞれの表情が浮かぶのが不思議です。「生産を象徴するスタイル」それこそが取捨選択された、先端の味わいの行き着く先である気がしてなりません。
文・写真:吉良 竜哉